乳児を投げ落して死亡させた三つ子の母親に実刑判決が出た、という悲しいニュースを目にしました。わたしの出身地、愛知県で起こった出来事。不妊治療をして授かったという赤ちゃん、とてもやるせない気持ちになりました。
愛知・豊田の乳児暴行死、母親に懲役3年6か月の実刑判決
3/16(土) 0:42配信
去年1月、愛知県豊田市で当時生後11ヶ月の次男を床に投げ落とし、死亡させた罪に問われていた母親に対し、懲役3年6か月の実刑判決が言い渡されました。
判決などによりますと、豊田市の松下園理被告(30)は去年1月、自宅で当時生後11ヶ月の三つ子の次男が泣きやまなかったことに腹を立て、床に2回叩きつけ、死亡させた傷害致死の罪に問われていました。
15日の判決公判で、名古屋地裁岡崎支部の野村充裁判長は、松下被告はうつ病の状態にあったが責任能力があったと指摘した上で、「無抵抗・無防備の被害者を叩きつけたのは悪質というほかない」などとして、懲役3年6か月の実刑判決を言い渡しました(CBCニュース)
このニュースはわたしにとって大好きだった友人のことを思い出させました。
もくじ
夫がカナダ人同士だった洋子さんと私
洋子さんは仲のいい友達で、お互いどこに住んでもずっと続いて行くだろうと思っていた人でした。彼女が今生きていれば今年22歳になる三つ子のお母さんだったはずでした。
洋子さんと最初はどうやって知り合ったかは、覚えていません。気がついた時は、私と夫と洋子さん、そしてそのご主人のDavid (デービッド)と4人で会ったり、私と洋子さんと二人で会ったりしてました。
多分きっかけは当時日本に住んでいましたが、お互いの夫が外国人そして同じカナダ人。そしてたまたま二人ともカナダのオンタリオ州出身だったということだったのでと思います。
きっかけはそうだったかもしれないけど、私と洋子さんは最初から気が合ったのを覚えています。ショートヘアが良く似合って活発、でも一緒にいると何だかホットする人でした。いつもわたしは彼女のことをヒマワリのような人だと思っていました。
不妊治療が始まって
私は当時、不妊治療に通っていました。結婚して3年しても子供を授からなかったので病院に通い始めていたのです。偶然なことに洋子さんも同じ理由で病院は別でしたが、不妊治療をしていました。
お互いに子ども好きだったので、いつか二人の子供たちを一緒に遊ばせよう、とかそんなことを話していたんだろうと思います。
そして私が長男を授かりました。洋子さん、自分のことのように喜んでくれて出産の時は病院までお見舞いに来てくれました。そして私の長男を抱くと、今までも治療には通っていたけど本腰を入れてみようと思うと教えてくれました。
次は洋子さんの番でした。そして洋子さんからついに赤ちゃんができたとの報告があり、私も本当に嬉しかったのを覚えています。
次の彼女から電話は、赤ちゃん一人ではなく三つ子だというビッグニュース‼️ 治療していると双子、三つ子の可能性もありますとは聞いていたものの、実際三つ子は直接知らないし私も正直ビックリでした‼️
三つ子の出産となるとやっぱり大変な妊娠生活で、妊娠期間はほとんど安静入院していたような気がします。
三つ子無事出産 そして壮絶な三つ子の子育て
そして出産、無事に男の子2人、女の子1人が生まれました!育児は大変だろうけど、赤ちゃん欲しい不妊治療からの3人出産は洋子さんもデービッドもお見舞いに行った時には本当に心から喜んでいました。
そして私たちの夢が叶い何回かは、お互いの子供たちを一緒に遊ばせることもしました。私も3年後に次男が生まれ、年齢的に私の子どもの間に3つ子が入り子どもたちはちょうどいい遊び相手でした。
最初に知り合い、しょっ中行き来してた頃は、お互い岐阜に住んでいたので会うのが簡単でした。私は子どもが生まれる前に愛知に引っ越したので、その頃は会えるのは年に1、2回になっていました。
どうやって3つ子、子育てしてるのか聞くと真剣な顔で、もう必死にやってると。そしてデービッドがいなくて一人の時は、子どもたちの安全を確認してから、時々トイレにこもって一人にならないとやってけないと言ってました。
そしてこう言っていたのを忘れることができません。
『一人で見ている時、3人一度に泣くと両腕使っても二人しか抱けないのよ。それで残りの一人はわたしの両足にすがりつくの。』そしてあんまり大変な時はデービッドに電話して『早く帰って来てくれないと、一人ずつベランダから落とすよ!』と脅すと。
三つ子の子育て、いくら望んで授かった子達とはいえ、想像できないくらい大変だったと思います。
デービッドの家族はカナダ、洋子さんのご両親も高齢だし近くに住んでいなかったので、本当に二人だけでで3人を育てていました。
カナダ引っ越しに向けて
2006年の夏、私たち家族は日本から夫の出身地であるカナダに越してきました。ハッキリと引っ越そうと決めたのは2005年のゴールデンウィークの頃。
夫と私が知り合ったのも日本だったし、それからずっと日本で暮らしていたので、カナダに引っ越すというのはとても大きな決心でした。そしてまず私の家族とごく一部の親しい人だけにそのことを話しました。
洋子さんにその話をすると驚いたことに、彼女とデービッドもカナダ移住を考え始めていたと打ち明けてくれました。
そして、引っ越しに関する手続き、費用、子どもたちの様子など引っ越し前後を通して報告してほしいと言われました。そして私達が引っ越してから1,2年後に後に続くといっていました。
またここでも不妊治療の時のように、カナダでお互いに落ち着いたら一緒に子どもたちを遊ばせようというような約束をしました。
わたしの場合、夫の家族以外知り合いのいないカナダ、洋子さんとデービッドたちもカナダに引っ越すというニュースに私はワクワクしていました。
2006年8月に引っ越してやっと少し落ち着いたクリスマス、そしてカナダでの初めてのお正月。洋子さんから年賀状が届きました。
それを読んで私はビックリして泣き始めました。
私たちの引っ越しのあと、早速カナダ移住に向けて動き出した洋子さんとデービッド。
カナダ国籍のデービッドと子ども3人はカナダ入国に何も問題ないものの、洋子さんは永住権(アメリカのグリーンカードのようなもの)を申請するための準備にとりかかりその一部で必須、申請のための健康診断を受けました。
その健康診断で子宮がんが見つかったとのこと。しかも年賀状の様子からは初期ではなく何だか深刻な様子。
すぐに電話をしました。洋子さんは前向きで治療をしながらカナダ行きの準備をすると言っていました。
1年後の2007年のクリスマス、デービッドのカナダの実家に家族5人で日本から来ていると電話がかかってきました。
カナダにクリスマスで10日くらい来てるけど、もう多分引っ越してくることはできないと。そして亡くなることはもう怖くない、デービッドともいろいろ話をしたしもう気持ちの準備は出来ている。
自分で自分を納得させることができないのは、まだ3年生の三つ子のこれからの成長を見ることができないこと。
私は弱気にならないようにね、ということと話を聞くこと以外は出来ませんでした。自分も幼い子供のいる同じ立場だから洋子さんの気持ちが痛いほどよく分かりました。
洋子さんが残してくれた大事なメッセージ
そして洋子さんが
「私がデービッドや子どもたちと暮らしたかったカナダで、かなちゃん、私の分まで頑張って。本当に家族でカナダで暮らしてみたかった、、」と言いました。
物事が思うように行かなかったり、辛いこと、怒れること、悲しいことがあると私は洋子さんがどうしても手に入れたかった1日を過ごさせてもらっているんだ、と思い出すようにしています。
洋子さんが夢にまで見て、実現したかったこと。 何でも当たり前と思うと、よく文句が出る。でも、毎日普通に暮らしていることが当たり前じゃなかったら?
洋子さんは2008年の7月に亡くなりました。天国からあれくらい心配していた三つ子の成長を見守っているはずです。
洋子さん、いつも大事なことを思い出させてくれてありがとう。忘れないからね